私個人としては日本というのは住み心地のいい国です。慣れた食べ物に家族がいて、仕事もある。これ以上望む物がありません。しかし、反面日本には非常に自殺があふれていますよね。なぜ物質的に満たされているこの国にこれほどまで自殺が多いんでしょうか?本当に不思議でしたがブラジルに住んでいる日本人のブロガーが書いたこの記事を見てハッと気が付きました。
平均から外れた日本人が日本社会のプレッシャーに耐えられないんではないでしょうか。
平均的日本人のための社会:日本
日本というのは非常に平等を愛する国民かもしれません。でもすべての人類が平等であるべきと考えているわけではなく、「すべての日本人が同じような行動をすることで平等になるべき」と考えているのです。つまり日本とはストームトルーパーをたくさん作っている社会だと思ってください。

このようなスターウォーズ社会ではストームトルーパーでいることを放棄した人間は社会的制裁の対象(=いじめ)になる可能性があります。つまり、フィンですね。

このため日本人は気が付かないうちにステレオタイプの幸せな日本人になることを目指そうとします。それは例えば…
- いい大学を卒業する
- 有名な上場企業で働く
- 美しい女性と結婚して二人の子供を持つ
- 東京の郊外に小さな一軒家を買う

こんな感じです。そしてこのような人生を送っていない日本人を見つけたら彼らはこう思うでしょう。
あの人は変な人だ!
こうやって平均からずれた日本人をバッシングすることで、多くの「普通ではない日本人」はストレスを感じます。なぜなら社会で認められないからです。そしてそのような不満が少しずつ蓄積すると大量の仕事や何かをきっかけにストレスの洪水が起き、死を選ぶのです。
社会に認められたいと思っても認められなかった人間が選んだ最後の悲しい結末だと言えるでしょう。
私が受けた偏見
ちなみになぜこのようなことがわかるかと言うと私の家族は日本人ですがだいぶ変わった歴史を持っているからです。
個人的な話ですが例えば私の家族の一部はカトリック教徒です。そのためキリスト教が非常に身近で、私も一時期毎週日曜日は教会に通っていました。当時私はそれが普通だと思っていたので日曜日何をしているか学校の友達に聞かれたときに「教会に行っている」と答えたのです。すると友人は青ざめて、「あなたはオウム真理教のように宗教を信じているの?」と言われました。
オウム真理教というのは過激な仏教セクトの事で、20年ほど前に毒ガスを使ったテロを行って社会問題になりました。そのころから日本では宗教(一般の仏教と神道を除く)を信じる人間は危険な人物だとみなされるようになったのですが、人口当たり1%しかしないキリスト教に親しんでいた私も同じような偏見の目で見られたわけでした。

このような偏見を子供の頃から浴びたことで私は「平均的な日本人を愛する日本社会」に強い不信感を持つようになり結果的に欧州に留学しましたが、多くの日本人は大人になっても日本社会の呪縛に閉じ込められています。社会に疑問を持ち反抗的になれるのは本当に一部の人間だけで、その多くが委縮してしまうのが現実です。
私は運がよく、親が教育の機会を与えられるほどには裕福で、教師に反抗して噛みついても守ってくれるような人間でしたが、もし私が貧困家庭の出身で親も子供の面倒を見る余裕のない家庭だったら…?待っている結末は違ったかもしれません。
本来日本人の中でも様々な違いがあります。経済的格差、宗教、政治、応援してる野球のチーム、しかし日本社会はそれでも「日本人は皆同じでなければならない」と考えてしまうのです。そうして今日もストームトルーパーが生産され、規格と異なったストームトルーパーは排除されます。ある意味ロボットのような社会が日本社会なのかもしれません。
もし、日本に住みたいならお聞きしますが、
あなたもストームトルーパーになれますか?