弱いものを助け、強いものと戦う誇り高い戦士。そんなイメージが侍のイメージとして世界中に広がっています。しかし、歴史を大学で勉強していた人間として言いますと、そんな侍はほとんどいません。実際はギャング映画の主人公のような男たちばかりです。「ラストサムライ」よりも「ゴッドファーザー」や「スカーフェイス」に近い彼らの本当の姿を今日は勉強しませんか?
貴族のボディーガード時代(-1192)

昔まだ日本は統一されていませんでした。今の東京などがある「東国」と呼ばれる地域には京都の支配を受けない「蝦夷」と呼ばれる異民族(アイヌだと思われる)がおり、京都の中央政府はこれらの土地の征服のために多数の下級役人を送り込みました。
彼らは東の土地を征服していくと自分の街を作り、現地の住民と結婚して土地の支配者になっていきました。現地の住民も都からやってきた征服者と結婚できるのは、彼らに守ってもらえるというメリットがあったのです。
そうです。つまり初期の時点では武士は非常に「コンキスタドール」と近い存在でした。私も東国の生まれなのできっとエルナン・コルテスのような男の子供なのでしょう。
こうして都からの征服者によって徐々に東国は開発されていきましたが、一つの問題が残りました。
遠いので中央政府が支配しきれないのです。
警察があまりいない昔の話ですから山賊や海賊、そして他の征服者が土地を奪いに来る危険もあります。京都で行われる裁判などは待っていられないのです。そのためこの地域の人達は自分で武器を持って、
「殺される前に殺す」
というカウボーイマインドをもって生活していました。まるでアメリカの西部開拓時代ですね。

こうして武装したコンキスタドールたちはいつしか「侍」と呼ばれるようになりました。そして京都の貴族たちも彼らの凶暴さに目をつけると徐々にボディガードとしても使うようになり、京都でも働くようになります。
しかし、彼らはいくら貴族のために働いても貴族になることはできませんでした。人を殺したり、戦争したりすることは卑しい侍の仕事であるとされており、貴族の番犬としか思われていなかったからです。これに侍達は不満を募らせていきます。
危険な仕事は俺がやっているのに、なぜ貴族は俺より金持ちなんだ?
そんなふうに思いながら生きていると歴史が変わるタイミングがやってきます。貴族たちが内戦を起こし、両者とも武士を連れてきて戦わせたのです。この戦いで中心的な活躍をした武士たちは遂に貴族たちを暴力で脅迫するようになり、政治も武士を中心としたものへと姿を変えていきます。
日本版西部劇時代
この政治的権力を武士が奪い取り、軍事政権を作ったのが鎌倉時代です。こうして150年前まで続いた武士の時代が始まりました。そして鎌倉時代の武士は全ての時代の武士の中で最も理想的であるとされています。なぜならバイキングのように質素で暴力的、そして殺人芸に特化された職人だったからです。
彼らは日夜、犬を追っかけたり、弓を練習したりして敵と戦う準備をしていました。優雅な文化を持った貴族とは違い、質素に戦争のことだけを考えるその純粋さが戦士であったすべての武士の憧れとなっていました。
しかし、現在の日本人と外国人の価値観から考えても彼らのモラルは別次元です。まさに人を殺すためだけに生まれてきたこの時代の武士の行動は危険そのものでした。具体的に当時の御成敗式目という鎌倉の武士の政府が作った法律から彼らの危険な毎日がわかります。
・弓を練習する時に浮浪者を的にしてはいけません。
・何もしていない農民の女性や巫女に乱暴してはいけません。
・家に今日殺した敵の生首を飾るのはやめましょう。
・主人のために他家の武士を殺せば褒められると思うのは間違いです。喧嘩しないようにしましょう。
このように鎌倉時代までは危険な暴力マシーンとしての武士の特徴が現れています。これが1600年からの江戸時代からは皆さんのイメージ通りの侍になるのですが、それはあと500年あとの話です。次回は少し文化的になった侍がどんな戦争をしていたのかを見ていきましょう。